読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もうそうだぶんのかたこんべ(仮設)

こんぷれいんつ・ぶろぐ別邸。中の人などいない。

ひじょうにまわりくどいじさつがんぼう

頭良くなりたい。それはそれはもうとにかく頭良くなりたい。と言うかもう頭良くなれるんだったら死んでも良い。

…………と、思ったところで「いやいやこれ実は順序逆なんじゃねーの」とか思ったりするネガティブ今日この頃で御座います。

頭良くなりたいなりたいって、じゃあ頭がよくなったらどうなるのかなどと考えてみても自分はバカなので分かる訳ないんですが、そもそも予想すら出来ない自分なんて物が自分なのだろうか。一瞬哲学的と思った君はまだまだ頭良い人種とは呼べないぞ!

例えば、もしドラえもんののび太が頭が良かったとしたら(既に前提としておかしい気がするが)、当然ドラえもん無しでも大概何とかなったろうし、子孫がわざわざ未来からやってきてまで紆余曲折しなくたって済んだかもしれないし、別にさした苦労もなくしずかちゃんと結婚できたかもしれないし、というかもうもしかしたら誰も気付かなかったジャイ子の魅力を見出してそっちの方で幸せな生活を送ってるかもしれない。って、これじゃあもうのび太じゃねーじゃんって言うじゃないっすか普通。

ハイそーですとも。頭の良い○○と言う想定なんてバカげてるしありえない。

要は頭の良い自分なんて生き物は自分ではないのである。もし頭の良い自分ならあの時どうこうして……とかそんな想定をしてもどうにもならないし、バカはどうしようもないのである。あ、この場合の頭のよさって言うのは思考力の問題であって知識量ではないと言う点は一応注意な。知識量なら図書館にでも篭ってれば最悪ある程度は補完できるけど、思考力は生まれ持った物を変えるのはほぼ無理だと思う。思考実験をおびただしい回数繰り返すとか物凄い鍛錬を重ねれば或いは不可能ではないかもしれないけれどそれでも思考力の上昇はすぐ限界が来るでしょうし。

もとい。後天的に補完できない以上もはやコレは一つのパーソナリティー、個性と言っても差し支えない訳でして。自分を構成する要素の一つが「バカ」であると言うほかないわけで、じゃあもうこのバカを直すって事はイコール自分が自分でなくなるって意味になっちゃう訳です。だから、

頭良くなる為なら死んでも良い

ではなく、

頭が良くなる=死ぬ

って事なんじゃないかなー、とまあ頭が悪いなりに頑張って考えた結論なんですが何コレ絶望的。もうやだ。死にたい。つーかもう最初から回りくどい言い方してるけどこれって単に「自分がバカすぎて死にたい」って言ってるのと同じじゃん。ばっかじゃねーの。