もうそうだぶんのかたこんべ(仮設)

こんぷれいんつ・ぶろぐ別邸。中の人などいない。

おもしろげしゅたると・あらため

「もうお前何が面白くて生きてるんだよ!?」

と聞かれたら今の自分は何も答えられない段階にまできている。そもそも面白いってなんだよ。面白いって。感情とか感覚とかじゃないのかよ。アニメ見たり漫画読んだりゲーム遊んだりしてて何となく面白かった(小並感)ってもんじゃないのかよ。

 

違うらしい。何のどこがどういう風に面白かったのかを感じて考えて答えを出さないといけないらしい。そんな面倒な物らしい。いやそれが本来至極当然と言うらしいからにはオカシイのが自分なのだろうけどもやっぱりとても回りくどく感じるし意味も分からないし実行できる自信すらない。しかしそれでも面白いというのはそういうものなんだと。「例えば飯食った時に"甘かった""苦かった"だけしか感じないはずはない。"納豆の粘り気とズッキーニのみずみずしさが合わさってエスニックな辛さをフレンチの様な塩気を引き立てて美味"みたいな感じでもっと色々な味があるはずだしそれを感じて考える事が出来る筈だし面白いと言う感覚もそれに近いはず」……らしいのだ。なるほどなるほど言わんとしている事は分からんでもないが。しかしそれでも感覚的な、実践的な理解が全く出来ない。自分がアニメを見た時の面白さを、脚本や演出やメッセージ性の中に見出して解読しようだなんて出来るわけがない。いや実際それを行っている人間はそれなりにいるはずだし技術として可能なのは知っているが自分の感覚としてそれを取り込む事は今の所全く、本当に全く出来ていない。そんな訳で、現在の私は自分の中で面白い楽しいと思っている事がなぜ面白いのか全く分からない。ただ何となく惰性で様々な作品を見聞き遊んでインプットしていてもそれが何が楽しいのか全然分からないのでもう、面白いって何なんだろうなあと漠然と思い始めてしまう。今の惰性で続いている作品が終わってしまったら自分は次はどうなるのだろう。「面白い」が何なのかも分からない以上新しく作品を手に取ろうと思っても何の指針も立たない。何が楽しいのかも分からずに何かを手に取ろうだなんて出来るわけもない。面白いって何だ。自分にとって面白いとはどういう物事を指すのか理解しなければならない。でなければ前に進めないから。しかしながら確信的直感としてこれはもう生涯分かりそうにないと言う気しかしない。つまりは割と早い段階でこの人生手詰まりといった感がココ暫くの間で随分と渦巻いているわけである。今更ながら。

或いは創作、出力するという手順から自分の中の楽しいと思える要素を探し出す方法もあるにはあるらしい。例えば小説なんかを書こうとした場合「このシーンはこういう風に書いた方が格好良い」とか「こういう展開にした方がドラマチック」みたいな感じで、自ら描写する事で自らが好きな描写を知る方法。しかしこれもまたしかしながら自分は創作とか小説とか自分で出力するのが大嫌いである。いや出力する人自体は決して嫌いではないし自分に出来ない事をしているのでとても羨ましいというか羨望と言うか恨めしそうな目で応援するつもりではある。ちっ。

でも自分で小説なり何なりを書いたり描いたりするのはどうしてもいやだ。特に顔を見知ったリアル知人や親戚相手になると本当にいやだ。何かやってーとか言われたらそれだけでチンパンジーの様に暴れたくなるぐらいにちょっとしたコンプレックスの様相を呈している。といっても自称するコンプレックスほど疑わしい物はないのでこんなものはただの自意識過剰程度の物なんだろうが、まあとにかくやりたくない。なぜなのかといわれても正直分からないが、何となく書いても描いても回りから馬鹿にされると思うし思い込んでいる。相手が決して貶したりしない良心的な人間であると知っていてもなお絶対に馬鹿にされる見下される陰口を言われるという妄想が頭から離れない、と言うか精神のどこかに釘を刺している。この並々ならぬ(とか尊大にも自分で断言してしまう程の)嫌悪感はどこから起因する物なのだろうか。これもまた、実際に書く描くという手順を踏まなければきっと解読する事は出来ないのだろうし、こんな異常な感情はどこかで解消しなければいずれ何らかの支障をきたすであろうと言うのは想像に難くない。直さなければならぬ。しかし、やっぱやだー。絶対やだー。直すっつったって結局逆療法まがいの方法になるんじゃん。辛い。マジつらい。この辛さ分かってくれんだろうか。分からんだろうなあ。分かる様な同類がいたらソイツもまた残念な私と同じ様に残念な頭をしているのだろうし、いない方が良い。きっと。

かくしてやっぱり何が楽しいのかも何が辛いのかも分からなずお先真っ暗どころか足元、いや寧ろ自分自身が真っ暗で見えない状態のまま止まりかけの惰性で怠惰で退屈な我が生活が続く。

あー。ACVD買いたかった。何が楽しいのか考えようともしない馬鹿のままで、ただ続編だからと言う理由で意味もなくACVDを買いたかった。その方がよかった気がする。そうすれば少なくともその瞬間だけは「あーまーどこあをうごかせてたのしかった(小並感)」みたいな馬鹿短絡思考でそれなりに面白おかしく刹那的に生きていけたかもしれない。結局何が面白いのかは、分からないままだけど。